第5回全日本自動車競争大会(註1) 2000/04/09 (2015/11/24改稿(註2))

 「2010年のフォーミュラニッポン」では未来のFポンの年間カレンダーを作ってみたが、ああいう方向以外にも、FポンがホンダMLなどと統合してオーバルトラックでのイベントを含むような形態に向かって行く可能性も無いとは言えないだろう。一方Fポンには、例えばかつてのインディカ―シリーズ(現在はIRLだが)ならばインディ500、F1GPならばモナコグランプリ、昔の世界マニュファクチャラーズ選手権ならル・マン24時間といったような、特別なステイタスのある看板イベントが無いという弱点もある。

東急東横線が多摩川を渡る橋の西側の河川敷、現在日ハムのグラウンドがある場所には戦前(多分終戦後も暫く)、多摩川スピードウェイという未舗装としては大きなオーバルトラックがあった(註3)。そこで1930年代に「全日本自動車競争大会」というイベントが4回まで行なわれている。本田宗一郎が浜松号のドライバーとして出走したレースである(註4)

例によって戦時色が濃くなる中、「全日本自動車競争大会」は中断される事になったのだが、もしこれが戦後復活していたら、日本のモーターレーシングの在り様は全く違ったものになっていただろう、などと言ってみても既にそれは取り返しがつかない。しかし、もしFポンが今後オーバル志向の強いカテゴリーに変化して行ったとしたら、年に一度ツインリンクもてぎのオーバルで「全日本自動車競争大会」のタイトルを復活させ、ポイントも賞金も上積みした特別なレースを開催するというのはどうか。

CARTでも、確か1910年代にほんの少し続いただけ(註5)の「ヴァンダ―ビルトカップ」なるタイトルを臆面も無く復活させ、インディ500に代わるU.S.500の権威の拠り所としている。前例は在るのである。

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註1.
改稿前の題は「第4回全日本自動車レース大会」としていた。記憶に基づいて書いたので、レースの名称と開催回数の2点に誤りがあった。「全日本自動車競争大会」は1936年から1938年まで続いたので計3回が行われたのだと思い込んでいたのだが、1936年には2回開催されており、計4回が行われていた為、復活開催すれば第5回となる。

註2.
2015年11月の「多摩川スピードウェイ・回顧展」を見学して、自分の書いたこの文章に幾つかの明白な誤りがある事に気付き、まとめて訂正する事にした。しかし最初にこの記事を書いた2000年時点に於いて事実であった事は、2015年現在、事情が変わっていたとしても書き換えず、そのままの内容とした。

註3.
「全日本自動車競争大会」については、オートスポーツ誌上での塩澤進午氏の連載「“実録”レース史・私の報告書」の初期の記事に詳しい(三栄書房さん、単行本出してください!!)。そこから得た情報を頼りに筆者は多摩川スピードウェイ跡地を調べてみた。堤防の内側には古いコンクリートの段があり、これは当時のグランドスタンドの跡と思われる。当時のコースのイン側の縁に沿うような形でコンクリート製の溝があったが、一部コースレイアウトに合わない部分もあり、これがコースの名残なのかどうか確認は出来なかった。(2015/11/24補足:上記の微かなコースの名残は、確かにターン4の跡との事である。今回再び現地を見たところ、コンクリートの溝は無くなっているようだが、何故か草の密度の違いなどによって路面とインフィールドの境目が視認出来る。)

註4.
改稿前は「本田宗一郎がカーチス号のライディングメカニックとして出走した」と書いていた。しかしそれは「全日本自動車競争大会」以前に他所で行われたレースに於いてである。

註5.
訂正する(2000/04/15)。ヴァンダ−ビルトカップは1904年に始まり1916年を最後に中断して以降、1936・37年にも復活したことがあるようである。

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