“オートレース”の起源
─あるいは日本モータースポーツ前史─ 2000/09/13(未完・暫定掲載)

 筆者は常々疑問を持っていたのだが、日本ではいわゆるモータースポーツとしてのレースが行なわれるようになる以前の昔に、いわゆる公営ギャンブルとして、二輪の“オートレース”なるものがなぜ存在したのか?しかも大昔には四輪の”ミジェットカー(註1)”によるギャンブルレースも行なわれていたようである。二輪のオートレースにしても、オーバルトラックを走る事に加え、乗り方や車両もアメリカなどのダートトラックレースと似ている。日本のギャンブルレースはどうもアメリカの匂いがする。などと思っていたら、最近「名古屋オートバイ王国(富成一也著 郷土出版社 1999)」という本により、戦前から1960年代までの主に二輪車による日本のモーターレーシングの歴史について筆者は知ることになった(四輪についてはオートスポーツ誌上での塩澤進午氏の連載「“実録”レース史・私の報告書」などの資料により、おおまかな歴史は知っていた。)。現在の日本では、1962年の鈴鹿サーキット完成によって日本のモータースポーツの歴史は始まった、などという歴史観がまかり通っているようだが、それは譬えて言うなら古事記・日本書紀的歴史であり、それ以前には隠れた長い前史があったのである。

 1913年に大阪・鳴尾阪神競馬場において日本で最初のモーターサイクルのレース(註2)が行なわれて以来、日本においても多くのレースが主に仮設コースを中心として開催されていた。この「公道天国」でも公園を利用した仮設レーストラックのプランを沢山掲載したが、当時もやはり公園での開催(尤も仮設ロードコースではなく仮設ダートオーバルが主流だったようだが)は多く、それ以外にも競馬場は当然として錬兵場、陸上競技のトラック、野球場など、走れるところはどこでも走ったという状態だったらしい。今から考えると羨ましい限りである。そればかりか、1926年にはオール日本T.T.レース(名古屋〜金沢〜名古屋 1280km)、1953年には名古屋T.T.レース(愛知・岐阜・三重250km)などという都市間ロードレースも行なわれていた。(以下、欠)

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註1.
 当時の“ミジェットカー”は勿論アメリカのダートトラックを走るミジェットカーと血縁関係にあるのだろうが、筆者は現物を(写真・図像も)見ていない。“ミジェットカー”がダートトラックだけでなく、もし競輪場のようなバンクも走っていたとしたら、まさに1920年代アメリカのボードトラックレースそのもの(!)である。尚、CAR GRAPHIC誌の小林元編集長は当時ミジェットカーをメンテナンスしていた人物のひとりを御存知らしい。

註2.
 独立したイベントとしては日本で最初なのであって、モーターサイクルのレースは自転車レースの余興などとして、それ以前から行なわれていたらしい。

寝言↑
公道天国↑