IRLの生きる道 2000/02/15

  IRL代表のトニー・ジョージIMS社長宣はく、IRLとCARTはフィロソフィーが違うからやっぱり統合は出来ないそうである。

 そもそもIRLはCARTの国際化路線を否定し、“インディカー”をアメリカ製マシーンとアメリカ人ドライバーのための、純血アメリカンオープンホイールレーシングの頂点という位置付けに立ち返らせる為に発足した筈であった。しかし蓋を開けてみればエンジンこそGMのオーロラが優勢なものの、シャシーの大半はイタリア製と英国製、しかも1998年のシリーズチャンピオンは国際F3000出身の外国人という体たらくである。これでは結果として全然CARTと差別化できていない。フィロソフィーが違うだの言ってみても説得力が無い。ではIRLの理念を実現し、尚且つCARTと和解するにはどうすればよいのか。

  それにはIRLとCARTのどちらが正しい方向なのか決めようとするのではなく、シリーズの完全な一本化はせずに相互乗り入れ出来るよう車両規則は統一した上で、より明確な住み分けを目指すべきなのではなかろうか。具体的に言うと、IRLかCARTのどちらかに属する“インディカ―”のレースは現在年間30余りもあるが、それらは今後も全て存続させ、CARTはロードコースとスーパースピードウェイのイベントを中心に、そしてIRLはスーパースピードウェイとその他のオーバルの一部、更にはダートトラックのイベントを選手権ポイントの対象とするのである。

 1960年代までのインディカーシリーズはミジェット、スプリントカー、シルバークラウン(註1)などダートトラックで行われるオープンホイールレーシングの名実共に頂点であった。しかしインディカーシリーズからダートトラックのレースが消え(註2)、ロードコースのレースが増えるにつれてダートトラック出身ドライバーの優位性はなくなり、かわりに外国人などロードコース出身のドライバーが幅を利かせることになってしまった。
 それならばIRLは再びダートオーバルのイベントをシリーズに組み込み、ダートトラック出身のドライバーがステップアップの目標とすべき頂点として、ロードコース出身ドライバーの頂点CARTと2本立てで共存すればよいのである。言いかえればレーシングドライバーがインディ500まで上り詰めるルートをはっきりと二通り用意するという事である。

  現代のフォーミュラカーにダートコースを走らせるのは無茶と思われるかもしれないが(註3)パイクスピーク(註4)等のダートヒルクライムではインディカーベースのオープンホイール車両も走っており、インディカーそのものをダートオーバルで走らせるのもあながち不可能ではなかろう。ダートトラックレースの観客層をより多く取り込むことでIRLの興行収入も上向く筈である。カーボンシャシーのインディカーが団子ドリフトしていくレースを筆者も観てみたい。ダートトラックのスタードライバーがインディ500でF1ドライバーを打ち負かす機会が増すというのも、多くのアメリカ人にとって悪い気はしないのではないか。
 

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注1.
   いずれもアメリカのオープンホイールレース統括団体USACが管理する下位カテゴリー(1960年代当時もスプリントカーとシルバークラウンが別のものであったかどうか筆者は知らない)。USACの定義ではインディカーは“ゴールドクラウン”である。

註2.
 訂正する(2000/04/13)。1960年代までは“インディカ―シリーズ”というものは無く、それに相当するアメリカのナショナル・チャンピオンシップというシリーズが、舗装オーバルのインディカ―以外にもダートトラックのスプリントカーなど複数のカテゴリーに跨るものだったらしい。(余談だが、何に乗っても速いドライバーでないとチャンピオンを狙えないこの方式を“世界ドライバーズ選手権”でも採用すれば、F1GPだけで争われる現在のそれよりもよほど本当の“ドライバーズ選手権”になるのではなかろうか。ラリー車でドリフトするシューマッハを想像すべし。)

註3.
 註2の続き。1960年代以前にもインディカ―そのものがダートトラックを走ったのではないように、現代のIRLも、舗装オーバルとダートトラックでそれぞれ異なる種類の車両を用いる方法もある。

註4.
 コロラド州にある登山道路で1900年代初頭から現在に至るまで、毎年夏に大規模なヒルクライムレースが行なわれている。第二次大戦直後の一時期、上述(註2)したナショナル・チャンピオンシップにも含まれていたらしい。

寝言↑
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